

当時、地価は上昇の一途を描き、土地の高騰をあおらないことを目的に、横浜のみなとみらい、東京の臨海副都心(レインボータウンっていう呼び名がありますが、もはやE電状態です)、汐留(ここもシオサイトっていうのがあるそうですが、僕は汐留で済ましてます)は開発地域の分譲は行わず、基本的に賃貸での開発を進めることとなりました。結果、バブルは崩壊し、さまざまな開発計画が霧散し、土地の分譲を進めた、幕張新都心などが逆に多くの計画が実現され、空き地などが少ない、開発が進んだ状況になっています。もちろん、幕張とMM、お台場の集客力の比較などを見れば必ずしも空き地の有る無しが重要ではないのですが、街づくりに興味のない人から見るとMMは「クイーンズとランドマーク、赤レンガ、残りは空き地だらけ」という印象をもたれていると実感します。
日産の本社移転を皮切りにようやくMMも第二波ともいえる開発ブームを迎えつつあります。
90年代のものよりも小ぶりのものが目立ちますが、特にオフィス以外については建物の規模だけでなく、どこの町にもあるようなものでない独自のソフト重視の開発を進めていただければと思っています。
ここの写真は24街区(現クイーンズスクエア)の開発業者を募っていた際の結果落選した競合案の写真です。最終的にTRYグループ(住商、住銀、東急 他)が選ばれ、今のクイーンズスクエアを建設することになりました。ただ、TRYグループの最初の案はクイーンズタワーは今あるA,B,C棟すべて5階ずつ高く、(タワーAは42階建ての計画)高層部には今あるMMTowersに先んじて都心型住居が作られる予定でした。
ちなみにパンパシのホテル棟もミラー張りの予定でした。
計画中にバブルが崩壊し、各タワーの階数は低く抑えられ、住居の計画は消え、今ある姿に落ち着くこととなりましたが、更なる景況の悪化の元でMMホールを横浜市に買取を要請するなど、ちゃんと完成するのかなどと思わされました。
完成すると、高さを低く抑えた他は大きな吹き抜けなど、独自性の強い特色を多く残し、そのテナントの選定もあって、首都圏でも有数の集客施設として君臨し、今に至っています。
長々書きましたが、写真は横浜市発行の雑誌をカメラで収めたものです。なので、著作権とかで怒られるかもしれません。。ただ、クイーンズスクエアの他にもこんなにいろいろな案があったんだと思っていただければと思ってアップしてみました。一部写真がラップしてますご勘弁を。
